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ドキュメンタリー映画「マジでガチなボランティア」予告編
2007年にある若者と知り合った。
日サロで焼いた黒い肌にメッシュの入ったロングヘアー。胸には派手なネックレス。とても医大生とは思えないギャル男。
そんな彼の口から出たのは、外見からは想像できない、カンボジア支援への熱い気持ちだった。その時既に彼とその仲間はカンボジアに小学校を建てており、次に診療所を作ろうと活動を始めていた。
更に詳しく話を聞くと、元々ボランティアにさしたる興味はなかったが、ナンパに飽きていた彼は、何か本気になれるものを探していた。そんな時に友人から送られたメールがきっかけで、カンボジアに小学校を建設する活動を始めた。
そして、活動を通じて、知ってしまった。発展途上国の想像を絶する現実を。助けを求める人から感謝されるという喜びを。自分にも出来ることがあるという使命を。
彼のボランティア活動は「本気になれるもの」になった。
国連加盟192カ国の中で比較してみると、日本はかなり恵まれた国だ。まず戦争がない。欲しいものはたいてい買うことができるし、そのための情報も溢れている。
そんな平和で便利が当たりの国では、「本気になるために何か」が見えにくいのかもしれない。彼は、カンボジアで、それをはっきりと見た。そして、行動した。
大学生のボランティア活動に否定的な意見がある。学生時代というモラトリアムの中で行う一時的な活動にすぎない。人材も組織も脆弱なので、支援は結局、無駄に終わることだろう。
確かにそういうケースもある。
だが、批判することだけに何の意味があるのだろう。
批判や矛盾や能力の限界に耐え、行動を続ける、それのみが何かを変えうる力を持つ。
彼とその仲間が作った学生医療支援団体は2010年に7期目を迎え、これまでにのべ50大学93名が参加した。
彼らの寄付で建てられた小学校では、今でも毎日授業が行われている。沢山の人達の協力で診療所は完成し、交通事故にあった人の救急処置を行う予定だ。
だが、これでカンボジアの問題が解決するわけではない。発展途上国が抱える問題は山積みだ。
彼は自身の著書「マジでガチなボランティア」の中でこう語っている。
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僕はGRAPHISの代表を務めている間、ずっとこのことを考えていました。僕たちの活動は、何か意味のあることなんだろうかと。
~中略~
僕たちがカンボジアに寄付した700万円という金額は学生にしては大金ですが、大手の企業が行うフィランソロピー(慈善事業)や、政府が行う億レベルのODAに比べれば本当にささやかなものです。
もちろん僕は、金額が全てではないと思っているけど、リアルにどれだけの人の生活に役立てたか、と考え始めると、悩んでしまうのです。
~中略~
お金や支援した施設の規模で勝負したら、学生のチャリティは大人が行う支援の足元にも及びません。
でも、だからといって学生団体が無力だと言い切るのは乱暴です。
学生には学生にしかできないことがあるのです。
それは「伝える」「知る」「また伝える」の連鎖によって人々の内面に影響力を与えること。
~中略~
ある学生が途上国支援をしたいと思ったとします。たしかに、今の彼にはお金も地位もなく、精一杯頑張っても有意義な貢献なんてできないかもしれません。
でも10年後、20年後はどうでしょう?
彼は、商社に勤めているのかもしれません。学校の先生になっているのかもしれません。あるいは、砂漠での農業を研究する科学者になっているかもしれません。
そうなった時、彼の心に、「チャリティ」「途上国支援」というキーワードがあるかどうかで、社会は大きく変わってくるでしょう。
そういう人を増やすことが、長期的には日本社会全体のチャリティに対する関心を向上させ、間接的に途上国支援の活性化に繋がると思います。
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かつて、世界を変えようとした学生は、ヘルメットに角材を持ってデモをした。自らの手で変化を掴もうとした。
今、世界を変えようとする学生は、ボランティアを通じて一人一人の心にアプローチを掛ける。皆が少しずつ変わることで、世界が変わると信じて。
世の中のために何かをしたいと本気で頑張っている若者を目の前にして
「おもしろそうだね。撮らせてよ」
と軽いノリで話したことがきっかけとなり、その3年後、自主制作ながら高良健吾さんにナレーションを読んでもらい、シネクイントを始め、いくつかの劇場で上映することが出来てしまいました。
わずか3人のちっぽけな映像制作会社としては、まあ、頑張った方かもしれません。
通常業務を深夜まで行い、その後明け方までこの作品の編集して、また朝から通常業務を行うという日々が続きました。
公開後、次々と請求書が届き、本当に苦しい期間が続きました。
なぜ続けられたのか?を自分に問うてみると、それは「自分が作りたいから作った」ではなく、「自分以外に作れる人はなく、自分が作るべきだ」と思えたからだということに気付きました。
私にとってこれはとても大きな気付きとなりました。
そして、「頼まれてお金を頂いて作る」のではなく「頼まれてもいないに作って、劇場にまで来て頂き、お金を頂戴して見て頂く」ということの違いを経験出来きたことは、自分の人生における大きな糧となりました。
本作は今も学校での上映を中心として活動を続けています。
DVDやネット配信は行っておらず、今後もその予定はありません。
ご覧になりたいとご希望の場合は弊社までご連絡頂けますようお願い申し上げます。
この映画に登場した人物達は、今も活動を続けていたり、もう諦めたりして、それぞれが自分の人生を生きています。
その後のドラマについても、いくつか撮影を行っており、いつかこの映画の続編が出来上がると思います。
その時、御覧いただけたなら、とても嬉しいです。
カンボジア