美しい映像とは何か?
それは見るものに何かを残す映像である。
それは言語化できないことが多い。
だから「忘れられない」といった言葉で修飾されることが多い。
では「忘れられない」映像をどうやってものにするのか?
映像を撮るための直接的な道具であるカメラは、今、ものすごいスピードで変化している。
その変化は、多くの先人が長い時間を費やし、莫大な費用をかけて構築したものを壊している。
さらにその変化は、専門家のもたらしてきた成果を、誰もが手軽に手に入れられるかのような、そんな思わせぶりな空気を醸しだしている。
その思わせぶりな態度に「のるかそるか」。
制作者は非常に注意深く接しなければならない。
被写界深度が浅くボケがキレイとか、髪の毛のディティールや肌の色や質感の再現性が素晴らしいとか。
そんなことばかりに捕らわれていると、「忘れられない」映像からはどんどん離れていく。
一瞬は驚く。だがすぐに「忘れてしまう」。
そんな映像しか作れなくなってしまうだろう。
「忘れられない」映像とは、物語の強度の中からしか生まれない。
ワンシーンそれ単体だけで、そうはなりえない。
物語の強度と被写界深度や解像度は、関係がない。
しかし、強い物語に被写界深度や解像度が加われば、「忘れられない」映像になり得る可能性が高まるのではないか?
そう考えているからこそ、この変化にのる道を選んでいるのだ。
目的と手段は、いつも、いつの間にか入れ違ってしまう。
よくよく考えて原点に立ち返らなければならない。