今から5年前、私の留守中、会社宛に1本の電話がかかってきた。
ある会社の社長さんからだった。
その社長さんは、個人のケータイから電話をかけてきていたようで、私は、訝りながらその090から始まる番号に電話をかけた。
採用動画を作りたいのですぐに会いたいとのことだった。
電話をする前に、会社のHPをチェックした。
社長さんの写真が掲載されていた。
長い髪にサングラスをしていて、ウンコ座りをして人差し指を空に向けている写真だった。
「果て、どんな人なんだろう」と思って会いに行くと、すぐに発注が決まった。
その社長さんは日本では珍しい、親子揃って創業者というだった。
お父さんは一世を風靡した新しい業界の業界団体を創設するほどの方だったという。しかし、そんなお父さんとは無関係に16歳から自分で仕事をしていたそうだ。ボクサーやミュージシャン、居酒屋やWeb制作会社や映像制作会社の経営を経て、大手の会社が買い取ったものの上手く行かずに破綻した会社を買い取って再建しようとしはじめたばかりだった。
こうして採用動画をいくつか作らせて頂き、その過程でその会社の現場レベルだったり、経営レベルだったりする様々なことを断片的に見せていただいた。
そして、時には会社の近くの喫茶店で、結構長い間、社長さんの個人的なことを聞かせて頂くこともあった。
その後、沢山の動画を作らせて頂いた。
その中には、とっても喜んでもらえたものと、
そうでもなかったものがあった。
お付き合いが長くなる中、ある時、ご希望の納期にお応えできないことがあった。
以来、疎遠になっていた。
ところが、先日その社長さんの秘書さんから連絡を頂き、その会社のイベントを撮影させて頂くことになった。
撮影すると、会社は全く変わっていた。
業績はすこぶる良いのだが、
一番変わったのは働く社員の方々の顔つきや雰囲気だ。
なんというか、洗練されていた。
海外展開も順調で、今では、本社で働く社員の3割り程度が外国人だという。
でも、社長さんは以前と同じような感じだった。
スタッフと一緒になって缶コーヒーを飲みながら笑いあっていたり、カメラを向けると、少し居心地悪そうにしていた。
自分があまり接することがなくなった数年という時間。
その時間は同じように自分も過ごしてきたものだ。
他者と自分との状況の変化の度合いを比較することには何の意味もない。
でも、この数年間で自分自身が「自分はこれをやった」と思えないことが情けない。
「散歩していて富士に登ったものはいない」という言葉がある。
自分はずーと長い間、遠くの富士を眺めながら、いつか登ろうと散歩を続けてきた。
そう「いつか登ろう」と口では言う。
そして、そこに向かって何歩かは進む。
でもすぐに、あっちへ行き、こっちへ行きする。
そして、いつまで経っても富士には近づけない。
社長さんは、一歩ずつ一歩ずつ前に進んでいて、かなり富士に近づいてきたんだと思う。
周りがなんと言おうと、どんな状況になろうと、まっすぐ自分が決めた道を進んで来られたように感じる。
自分もまた今日から富士に向けて歩き出そう。
それ以外に道ははない。