先日、あるお客さんと打合せをした。
そして、なんとなく話の流れで、そのお客さんが顧客にやっていることを教えてもらった。
お客さんはマーケティングの責任者だ。
自社の製品を顧客の製品に組み込んでもらい、そのことで顧客の売上アップにつなげる。
そして、その結果、お客さんの会社の売上が上がる。
そんな状況を作るのが、お客さんの仕事だ。
お客さんの顧客は全国にいて、それぞれの地域の最優良企業。
しかし、人口減で苦しい立場にある。
お客さんの仕事のやり方は、自分が知っているマーケティング担当の人が行う業務内容とは全く異なっていた。
いわゆる伝説の営業マンのようなユニークなやりかたで仕事を行っていた。
そこで、ある質問をした。
「なぜ一見本来の業務とはかけ離れたように見える仕事をやるのですか?」
「なぜ、そこまでするのですか?」
「その動機は何ですか?」
するとお客さんは、涼しい顔でこう言った。
「自分は天才だから、それを証明したいんだ」
続けてこうも言った。
「で、なんの天才かというと、いつでもどんな顧客にも、ちょうどいいものを提供できるっていう天才なんだ」
子どもの頃よく分からず見ていた、倉本聰が描く男の世界が立ち上がった。
顧客にちょうどいいものを提供する、というのは一体どういうことなのか?
少なくとも、遠くまで見通せる人が、微に入り細を穿った配慮のもと、いろんなリスクに備え、時にうんざりするような状況に耐えて、最後まで本質を見失わないでいないと、ちょうどいいものは提供できない。
天才というと、針の先のような存在を思い浮かべる。
細く真っ直ぐで、尖っていて、キラッと光る。
だが鋼のような天才がいる。
それは焼いて叩いてを何度も繰り返し、時間をかけて出来上がる。
誰が見ても天才だと分かる訳ではない。
でもそう思っている人、思われている人がいて、この社会は成り立っている、
針のような天才は、テレビ番組にすればいい。
鋼のような天才は、私が映像化したい。