今年も採用映像のシーズンがやって来た。
おかげさまで、こんなご時世だがすでに結構なご発注を頂いている。
ありがたいことだ。感謝感謝!
しかし、ちょっと気になることもある。
最近多いご相談が「密着風に」「ドキュメンタリー風に」「情熱大陸風に」というもの。
自分でも、ちょっと本家本元に遠慮してそう言ってしまうことがあり、嫌な気分になる。
言っておくが、それを手法として採用してはいるが、真似ているつもりはない。
単に真似ようとすれば、結果は無惨だろう。
繰り返しになるが、手法が同じなのだ。
違いは、2つある。
番組を背負っているか否か?
お金を出しているのが誰か?
もし、単にこの2つの違い故に○○風と言われているのならば、それは悔しすぎることだ。
昔、手作り風餃子とか手作り風クッキーとかの商品名を見て、手作り風って何だろうと考えたことがあった。
私はこう考える。
おそらく、このコピーを採用した人は、「手作りはすばらしい、売れる」と考えており、でも「それだけの手間はかけられない、かけていない」という事情もあって、例えば、生地を練るのは機械だが包んだり型を抜くのは手でやっているということだから、手作り風というネーミングは「嘘じゃないだろう」ということに落ち着き、「手作り風」を採用した…と。
しかし、消費者にはこのような印象を知らず知らずのうちに持たせているのではないだろうか?
1)自分の仕事に対する誇りはなさそうだな。
2)製造法に言い訳があるようだな。
3)商品を嘘じゃなくうまく売り込もうという魂胆がありそうだな。
なので、この手作り風クッキーを作っている職人さんがどれほど徹夜しようと創意工夫しようと、消費者がそのようなストーリーを感じとってくれる事はない。
「手作り風なんでしょ。安くてそこそこうまければ良いよ」とダンピング価格で売られ、買ってくれた人の記憶にも残らず、消えていく。
そんな状態でいいのか?
○○風なんて言われる商品を作っている小さな会社に未来はない。
できる限り早くそんな状況からは脱出すべきである。