編集を一休みすると同時に今日は自宅からの更新です。
私は脚本というものを本当に理解しようとしていて、まだ浅いですが、自分のノウハウを周りの映画好きにも一生懸命伝えてます。
脚本にもっとも必要なものは「葛藤」だと思ってます。理由はいくつもあるのでそれは置いておいて。
友達の中ではそう思わない人もたくさんいます。
近代の映画はやたら形を崩すのが流行っているので、見ている人も翻弄されます。
「アンチ葛藤の定義」な人たちがいつも口にする映画はもちろんタランティーノ監督の「パルプ・フィクション」です。
私も出た当時に観たので、なかなか具体的に対話できませんでしたが、夏に久しぶりに観ました。
結論:
パルプ・フィクションこそ葛藤を題材にしてるじゃないですか!
ネタバレになりますので、まだ観てない方は読みたくなかも知れません。
まず、複数出てくる人物の中からサミュエル・L・ジャクソンが主人公だと考えて映画を考えると明確になります。
映画では順番は違いますが、時系列で考えると、ストーリーの始めはサミュエル・L・ジャクソンとトラボルタがあるアパートで殺しを働きに行くところから始まります。そこで、不意打ちを食らって、銃弾の雨を浴びる二人。
しかし一発も当たらずに済んで、サミュエル・L・ジャクソンは「奇跡」と認識しこの業界から足を洗おうと決意する。トラボルタは信じない。
そのあとピストルが暴発したりで騒がしくなり、色々片付いてから二人はレストランで一息して口論を続ける。
するとそこレストランでチンピラが強盗を起こし、サミュエル・L・ジャクソンに銃を向ける。こういうのにずっと慣れているサミュエル・L・ジャクソンは状況をひっくり返す。
みんな撃ち殺すのは容易いだが、先程起こった「奇跡」で人生の転機について色々考えている。
そこでサミュエル・L・ジャクソンが人を殺すときに必ず言う聖書のセリフの意味について初めて考える。
このシーンこそすごい葛藤じゃないですか!!!
見事その葛藤に勝ったサミュエル・L・ジャクソンは足を洗って生きる。
そして変化できなかったトラボルタは後日ブルース・ウィリスによって殺される。
しかもこの映画は他の主人公たちも色んな葛藤を抱えている。
パルプ・フィクションは作りで言うと全く斬新でしたが、ストーリー構成は本当にきちんとした脚本なのです。
まだ疑いを持っている方がいれば是非確認してください。葛藤を意識して映画を観ると、10倍楽しめます!それが感情移入です。
葛藤について何も話してないので唐突でちょっと極端ですが「映画と葛藤」について僕が今現在信じる結論を出すと。
①葛藤のない映画は失敗作(注)
(注)葛藤なしでギリギリ成り立つ映画は2種類あります。
a)ノスタルジー、懐かしさをネタにする映画(これは映画の中の主人公の葛藤でなく、今と昔を比べる私たちの葛藤を利用しているのでしょう)
b)アクション。映像の華麗さのことです。初めてマトリックスの有名なシーンを観た時、エイリアンによって街が崩壊するシーン。お色気シーン等。これはストーリー性とは関係なく人の興味を引きます。問題は毎回過激さを増やさないと人が飽きてしまうこと。映像が立体になったのはこういう要求に応えるためですが、派手さは生まれた時点で終わりのカウントダウンが始まってます。(注)
(注)もちろん、ストーリーに合った豪華なシーンは否定しません。インディ・ジョーンズやチャン・イーモウ監督の映画全般等。
②上記の点以外で葛藤のない良い映画はきっとどこかに葛藤があるので見直すべき。
③上記の点以外で葛藤のない映画を良いと思ったら、それはまぁ人間不思議な生き物ですから仕方ありません!!!
映画界でもっとも有名な名言(日本でどうかは分かりませんが)
「いい映画を作るには3つ条件がある。脚本・脚本・脚本」に私は更に加えたい!
「いい脚本を書くには3つ条件がある。葛藤・葛藤・葛藤」
葛藤こそが全ての原点!
少年よ!葛藤を抱け!!!
。。。と言いつつ、葛藤のない杉並区で平凡に暮らしたい私。笑
映像制作会社なので、これからもブログは脚本について書いていくつもりです。読んで下さる方々、本当に感謝です。