4月16日から弊社で企画、製作、配給を行っている、ドキュメンタリー映画「マジでガチなボランティア」が、渋谷のアップリンクで劇場公開される。
そこで、今、この映画を公開するということを、制作者としてどのように考えているのかを記したいと思う。
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「マジでガチなボランティア」は、「平和で退屈」な日本で、何をすべきかを自ら見つけ出し、満身創痍になりながらもそれに打ち込んだ若者を追ったものだ。単なるサクセスストーリーにしたつもりはないし、ボランティアの普及を訴えるだけのものでもない。
一人の若者がボランティアを通じて知った歓喜と絶望を、若者の成長物語として描きたい。自分はそんな思いで作った。
しかし、繰り返しになるが、それはあくまで平和な状況下でのことだ。平和なのに、それに飽きたらず、自ら行動を起こした大学生。彼への共感がこの映画を作った理由だ。
今、震災と原発事故で、かつてないほどの不安と絶望が溢れている。一方で、そんな陰が濃い中だからこそ、強く輝く希望もある。
ボランティアへの意識はかつてないほどに高まり、多くの人が自分にできることを探し、実行している。
そんな状況下で、この映画を見せることにどんな存在意義があるのだろうか。
それをずっと考えている。
答えは出ていない。
だからこそ、この映画にまだ意義があるのかどうかを自分は知りたい。
前回の公開で、思い知らされたことがある。
それは、映画というのは観客のものだということだ。
作り手の思いや考えとは全く別に、観客は自分の人生と重ね合わせて、映画を自分の中で作り上げる。
もしかしたら、この映画にまだ自分が考えもしなかった何かを訴える力があるかもしれない。
この映画がキッカケとなって、何かがうまれることもあるかもしれない。
それらを確かめたい。
自分勝手な思いではあるが、それがこの映画を公開する理由である。