こんにちは。
もう10月というのに何だか蒸し暑いですね。
この秋、立て続けに僕が監督した自主映画の上映が決まり、人の縁のありがたさを改めて噛み締める今日この頃です。同時に、「縁」に頼り切ってばかりではいけないと自分を戒めてもいます。
多くの映画作家が自ら積極的に動いて上映する機会をつくらなければならない時代。僕自身、単に映画を「つくる」だけでなく、「観せる」ことにも自覚的でありたいと常に思っています。
話は飛びますが、エルミー君の脚本に対する理解は素晴らしいと思います。日本の脚本教育は、わかりやすいことをわざわざ難しく説明してしまっている傾向も少々あるのですが(と言っても海外の事情を知らないので日本が特殊なのかわかりませんが)、「葛藤」にポイントを絞った考察は明解で的確だと思います。
ただ、せっかく本人も「「それは違うだろ!」的な意見が殺到してくれたら」と書いているので、一点だけ突っ込み?というか補足をしておくと、a)内側から来る葛藤とb)外側からの葛藤は各々が独立して存在するというより、相互に補完し合うものである場合が多い、ということですね。
例えば不仲だった夫婦が災害に遭遇し、助け合い生き抜こうとする中で絆を取り戻していく、といった具合に。
ここでは「不仲だった夫婦が絆を取り戻していく」がa)、「災害の中で生き抜こうとする」がb)になります。どちらか一方だけでもおもしろい映画はつくれると思いますが、両者が交錯することによって物語をよりドラマチックに描くことができるわけです。
だからどっちのランクが上とかいうことではないと思うんですね。
「勧善懲悪」の理解についても、思うところはあるのですが……
書き出すと長くなりそうなので、次に会った時にでも話しましょう(笑)。