いまツイッターなど、ちょこっとだけ文章を書くサイトが増えてますよね?
mixiもそういう機能ができたり、些細なことを人に伝える感じがイイんでしょうか?
でもそれって、日本人が俳句や短歌で昔からやってたことじゃない?
ツイッター「奥多摩でのんびりピクニック☆涼しいけどカエルがキモイ!」
俳句ッター「古池や蛙飛び込む水の音」
俳句ってまったく分からなかったですけど、ツイッターより俳句の方がやりがいがあると考えてから、興味を持ちまして、2年前に父から誕生日にもらった石川啄木の歌集を読んでみました。
古い日本語を読む勉強をしたことなかったので読みづらいですけど、それがまた古き良き日本って感じがしまして、読んでて楽しいです。
啄木は26歳、つまり今の僕と同い年で他界したのですが、彼が短歌で伝える日常は今を生きている自分にも伝わるのが素敵です。100年経っても恋や親や死に対しての感覚はそんなに変わらないのですね。
失恋したら浜辺で泣き叫んで疲れたら家に帰る。
親が年を取った事に気付いて悲しむ。
これから全てがデジタル化、3D化していくであろう社会でも、こういう心を大切に育んで立派な人間味溢れる若い子がいてくれたら嬉しいです。
今朝、私のアパートの二階に引っ越してきた家族の息子さん(12歳程)と会いましたが、自己紹介も挨拶もきっちりしてて、清々しい朝でした。
ヒロノブ君!君はいい子だ!
俳句は色々面白くて、この前はこんな俳句を教えて頂きました。(歌人の名前はわかりません。俳句自体もウル覚えです。)
七月の塀に落書きサチコのバカ
ツィッターのどんな呟きにも勝ると思いませんか?
この文を詠んだだけで七月の蒸し暑さ、蝉の鳴き声、近所の風景、そしてカルピスの味がした淡い初恋。その全てがすごい勢いで脳内で合体して、膨らんで、幼少期に有ったのか無かったのかは不確かな想い出を作り出して、完全なイメージをつかめかけた途端、弾けてしまう感覚。
しかも上記の文章は誰もが書こうと思えば書けるじゃないですか?
ようは文章力ではなくて、感情を数文字で圧縮させる感性が大事なんですね。
さぁ!フランスでは「鉄を打たねば鍛冶屋に成れぬ」ということわざがあります。
俳句も短歌も一日一個、駄目だと思っても書いていれば3年で1000個になるのだから、今日から毎日俳句を書きます!
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仕事よりキャッチボヲルがしたい夏
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エルミニアン、
文句を言うなヘタレ野郎!
酒も減らせよ煙草もやめろ!
俳句も短歌もできちゃった!
まぁ、最初はこんなもんでしょ。
立派な日本語を使える日まで頑張ります!